それは、とある日の夕方、一本の電話から始まる。
「高橋くん?あたしよあたし!設計の大森よ」
電話の主は、この三重県の設計業界の重鎮、知る人ぞ知る大森設計室主宰の大森女史。
ここで少し、大森女史の説明をしよう。あ、興味無い方は読み飛ばして貰ってオッケー。彼女は、当然の事ながらこだわりの家を設計し、さらには家の設計だけでは飽き足らず、「みえもん」という三重の木を使ったオリジナルブランドを立ち上げたり、更には、津のヘリテージマネージャーズ達をまとめ指揮する(他にも色々ある)など、とにかくよく動くバイタリティ溢れるお方である。
さて、そんな彼女からの話の内容は、何でも貴重な古民家が解体されるので、明日朝イチに、古材や古建具を引き取りに来てくれ、というのもの。
何とも急な話だが、大森女史からの依頼を断れる筈もなく、急遽翌日の予定を変更し、弟子の桝屋と、現場に向かう事にした。
かくして、今回の古材レスキュー隊は、木神楽から2名に、大森女史、そして今回の情報をくれたこれまた津建築士会の重鎮、島村氏の4名にて編成された。
現場は、津市近郊、旧伊賀街道沿いにある、うちからも近く、抜け道でよく通る道沿いだった。
今まで気付かなかったが、なるほど屋根の造りからして、ここら辺の民家とは違う。年代はハッキリしないが、藤堂家の何とかかんとかで、かなり由緒ある建物らしい。移築であるということだが、移築してからも100年以上は経っているだろう。
因みにご近所周りからは、御殿と呼ばれていたくらい、周囲とは別格の建物である。
とにかく立派な造りで、武家屋敷かそういうものに近いか。何と既に解体が始まっており、建具も畳も取り外され、瓦をめくっている段階だ。
解体屋さんの手を止めてはいけないので、とにかく急いで、外してある建具の中から良さそうなものを引っ張りだし、大森女史リクエストの書院の床板を外し、後はそこら辺の目に付いたモノを積んで来た。
それが最初の写真。
左側が障子、その下には板戸もある。右側は簾戸。どちらも漆塗り。
あ、簾戸というのは、葦を入れた戸で、夏の間は襖などの代わりにそれを入れて、風通しをよくする。いい座敷のあるとこにしかない、滅多に見ることのない戸だ。
障子のこの仕口を見ても、いかに良い仕事がしてあるかが分かる。
あとは、やたら程度のよい長持や、外した書院の床板、その他諸々。解体処分を逃れたこれらは、今後の古民家再生などに利用するべく、うちの工房で保管する事になる。